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☆カレーの歴史☆

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日本でのカレーの普及


明治時代後半になるとカレーは庶民的な洋食店でも扱われるようになりました。
また、比較的裕福な家庭でも作られるようになりました。
カレーが一般庶民の家庭でも作られるようになったのは、
日露戦争がきっかけでした。

朝鮮半島と満州の支配権を巡って対立していた日本とロシアは
1904年(明治37年)2月8日に戦争を始めました。
これが日露戦争です。
二〇三高地の激戦や日本海海戦を経て
1905年(明治38年)9月5日ポーツマス条約が締結され、日本は勝利しました。

戦争を行うためには兵士に食べさせる食料が必要です。
そしてそれは、日持ちがする食材で一度に大量に簡単に調理できるもの
でなくてはなりません。
そこで白羽の矢が立ったのがカレーでした。

カレーは軍用食品として最適だったので、陸海軍ともに採用されました。
海軍でのカレーを食べる習慣は、現在の海上自衛隊にも引き継がれており、
毎週金曜日が「カレーの日」になっています。

日本軍の兵士達は軍隊でカレーの作り方を覚えました。
そして戦争が終わると兵士達は国へ帰り、家族にカレーの作り方を教えました。
これ以降、一般家庭でもカレーが作られるようになりました。


明治後期から昭和初期にかけてカレーが一般化するにつれて、
様々な新製品が続々と作られました。

1902〜03年(明治35〜6)頃、日本郵船の客船の一等食堂で、
福神漬けがカレーのつけ合わせとして採用されました。
(福神 漬けそのものは1886年(明治19年)に 東京池の端・酒悦によって
製品化されています)

1904年(明治37)頃、東京早稲田の三朝庵がカレーうどんを考案しました。

1906年(明治39年)東京神田の一貫堂から日本初のインスタントカレー
「ライスカレーのたね」が発売されました。
これはカレー粉と肉を混ぜて乾燥させたもので、
お湯をかけるだけで食べられるというものでした。

1909年(明治42年)頃、東京目黒の朝松庵がカレー南蛮蕎麦を考案しました。

1910年(明治43年)大阪難波で自由軒が開店。
カレーとライスをあらかじめ混ぜ合わせ、生玉子をのせているのが特徴でした。

1911年(明治44年)頃、日本郵船の客船・三島丸の食堂のシェフが
ドライカレーを考案しました。
これは、白飯の上に汁気の少ない挽肉カレーをのせたものでした。


大正時代になるとタマネギ、ニンジン、ジャガイモといった野菜も一般的になり、
カレーに使われることも多くなりました。
現代の日本のカレーの基本的な形態はこの頃確立されました。

1914年(大正3年)東京日本橋の岡本商店がインスタントカレー
「ロンドン土産即席カレー」を発売しました。
これはお湯で溶いて肉や野菜を入れて作るものでした。

1918年(大正7年)東京浅草の洋食店・河金がカツカレーを考案しました。

1926年(大正15/昭和元年)「ホームカレー」の商標を持つ稲田商店を
吸収していた大阪の薬種問屋・浦上商店(現ハウス食品)が、
粉末タイプの即席カレールー「即席ホームカレー」を発売しました。
その後、1928年(昭和3年)に
「ホームカレー」は「ハウスカレー」と改名されました。

1927年(昭和2年)東京深川の菓子店・名花堂
(現カトレア洋菓子店@江東区森下)がカレーパンを考案し
「洋食パン」の名で実用新案登録しました。

1927年(昭和2年)東京新宿の中村屋は、
日本の飲食店としては初めて本格的なインド風カレーをメニューに取り入れました。
中村屋の創業者の相馬愛蔵は、日本に亡命中だったインド独立運動家
ラス・ビハリ・ボースを保護していました。
ボースは日本のカレーが安い食材を用いた経済料理になっている現状を憂い、
相馬に本格的な高級インド風カレーを作るよう進言しました。
相馬はボースの意見を採用し、
最高の食材を使ったインド式「カリー・ライス」を完成させました。


このように、カレーは日本人の食生活に定着していきましたが、
カレー粉は昭和初期頃までイギリスの
C&B(クロス・アンド・ブラックウェル)社製のものでほぼ独占されていました。

当時のC&B社はカレー粉の製法を公表しておらず、
製品のパッケージにも「このカレー粉は東洋の神秘的な方法によって製造された」
としか書かれていませんでした。

このため、国産品でC&B社製と同等以上の品質のカレー粉を作ることは困難でした。
明治時代末期頃から国産のカレー粉も作られてはいましたが、
これは輸入品にスパイスを添加しただけのもので、
完全な国産品ではありませんでした。

初めて純国産の高品質なカレー粉を作ることに成功したのは、
東京浅草の日賀志屋(現ヱスビー食品)でした。
創業者の山崎峯次郎は日賀志屋設立当初からカレー粉の研究を始め、
1923年(大正12年)にC&B社製に負けない品質のカレー粉を完成させました。
これ以降、いくつかの他メーカーからも純国産のカレー粉が発売されました。

しかし、国産のカレー粉はしばらくの間あまり売れませんでした。
それは、長い間C&B社製のカレー粉が独占的に使われていたため、
多くの飲食店が「カレー粉は C&B社製でなくてはならない」と
考えていたためでした。
しかし、ひとつの事件をきっかけに、国産のカレー粉は急速に普及していきました。

1931年(昭和6年)C&B社製のカレー粉の容器に安い国産のカレー粉を
入れて売っていた悪徳業者が摘発されました。
このとき既に多くの偽造カレー粉が販売され、使用されていました。

しかし、長い間カレー粉の偽造には誰も気付きませんでした。
この当時の国産のカレー粉はC&B社製に負けないくらい高品質になっていたため、
実際食べ比べてみても違いが分からなかったのです。
この一件が国産のカレー粉の評価を高める結果になりました。
これ以降、国産のカレー粉が普及していきました。

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